私の信念とこれまでの歩み


46年の永きに亘り、延べ24万人余の世界各国の患者様方を鍼のみの治療で改善・治癒へと導いて参りました。

 

私のポリシーは「投薬や他の治療法に依存せず、鍼のみの治療で極力早く苦痛をその場で取り払う」「苦痛の中に在る患者様の通院回数も、金銭的負担も極力最小限に抑える」「治す!!」事に全精力を注ぎ、どうしたら確実に治癒させる事が出来るのか・・・と、その情熱の下に永年の経験と実績の下Junji Ono Methodを確立し、現在も弛むことなく大勢の患者様と向き合い治療に当たっています。

 

そして私が人生の全てを捧げたと言っても過言ではない「鍼治療」と言うものを選択し、半世紀にも及ぶ永い年月の中、探求し続けてきた所以は、私は生まれて物心ついた頃から、成人し鍼の道の門をくぐり邁進する中も身体が弱く常に不調、病気がちでした。

 

子供の頃は登校できる日の方が少なく、今思い出してもいろいろと辛い体験ばかりでした。病気を治すために十数件もの病院を転々とし、その度ごとに薬の量は更に増え、改善するどころかむしろ症状は悪化、重症化し、何度もの入院を余儀なくされ最終的に入院したのは28歳、開業して3年目の事でした。

 

とても筆舌に尽くし難い全身に及ぶ不快感、苦痛、明日の見えない不安、焦燥感…暗がりの中の長い年月でした。そして医者から告げられたのは難病の病名と同時にあと長くて10年という余命でした。私の病を治す手立ては無いとまで言われたのです。

 

子供の頃からこんなにも長い間苦しみ続けてきたのに更に追い討ちをかけるように生命の期限の宣告。普通ならばショックで頭が真っ白になり、何も考えられない状態になることでしょう。けれど私は幼少期から続く全身の苦痛のため、日々の生活の一秒一秒がとてつもなく長く感じられ、生きていること自体が苦痛以外の何ものでもありませんでした。

 

日々思うことは何か事故などにかこつけて、それを言い訳に命を絶つことが出来たら…と、何度走る電車に飛び込もうと思ったか、何度車のハンドルを握りながら事故との遭遇を願ったか…死というものが私には一番楽になれる事なのだと常に願うまでの心境でした。

 

そのため医者から告げられた長くてもあと10年…という言葉で私はむしろ楽になったのです。生まれながらにして不健康な我が身を不幸と思ってきましたが、どん底まで墜ちて底の底まで見た時、私の中に新しい発想が生まれたのです。

 

その時私は自ら学んだのです。病気には二通りあり、病院で治す病気と自分で治す病気があるのだと。例えば医者に任せて治る病気、それが軽度から重度であっても、病院での治療を受け、ベッドで横たわっていれば治る病気もあれば、自分でしか治せない病気があるのだと。自分の免疫力、治癒力を高め、根本から身体をリセットし治す、自分の病気は自分で治す…私にはそれしかない、いや、それが私の療法なのだと確信したのです。

 

まだ身体が出来上がっていない幼少期から長年医者に言われるままに薬漬けになって全身重症化するばかり、不治の病の難病まで告げられ、それは己の真の身体の声を聞いていないことに気づきました。

 

本来誰もが備わる自然治癒力、免疫力、それを引き出し建て直す、自分の身体を優先し生活習慣も見直し、日々全精力で患者さんに向き合い、日々伝えている言葉を自分に向けなければと改心したのです。と同時に、患者さんに注ぎ込む全精力の内の何十%かを自分にも向け自らの治療を続けてきました。

 

幸いなことに針治療に携わり中国針治療を世に知らしめ牽引していく立場としてむしろ自分の病をラッキーな材料だと受け止めました。 長年辛苦の中に在っただけ、私は人の痛み訴えに対しても、それがどういうものなのか、どのような感覚か、健康な人より身を以て察知するアンテナが広く又深く敏感であると自分でも感じています。

 

辛苦を自分の武器として掘り下げて針治療の極意を確立することが出来たのは(Junji Ono Method)私の病がもたらした必然的な産物だったのだと思っています。そんな難病、余命宣告をされ16年…自らの治療で克服し、健康の有り難さ、幸せを知ったのは44歳の時でした。

 

時系列は前後しますが、苦痛の底から欲し望んだことは「副作用の無い安心安全且つ効果の高い治療法は何か!本来誰にでも備わる自然治癒力を増幅させ、改善させる、又、人から求められる医療、即効性のある療法とはどういうものか」を探求し、長い年月を苦しんだその結果「針治療」を学んでみたいという想いに達し、私の人生を捧げるステージとなりました。

 

今日に至るまでのプロセスは49年前(1969年)当時21歳の時、自らの辛い経験の下、日本の鍼灸学校に入学し、柳谷素霊夫人、まさ子先生、西沢道允氏、小野文恵氏、岡田明祐氏に学び、更に鍼治療の確実な手応えを実戦で学びたく、知識や技術を深め会得したい情熱の下に、沢山の方々の助けを頂き、単身中華民国に渡り、最終的に辿り着いたのが鍼治療の権威である国際針灸学会及び中国針灸学会理事長の呉恵平氏、好人好事代表の劉塵燐氏の所でした。 二人の師事の下、4年間実践と研究を重ね鍼治療の深さ、偉大さを体験しました。

 

恩師の医院に大勢の患者さん達が通われる毎日、その中で私は「この方達を出来るだけ少ない治療回数で確実に治したい」という探究心にかられ どうしたら効果の高い且つ本当に治す!治せるツボを、治療法を見つけられるのか!どうしたら針治療が医療として表舞台に立つ日が来るのか! と、まるで熱病にとりつかれたような明け暮れの中、右手3本の指にはタコの消える間がありませんでした。

 そんな思いがJunji Ono Methodを編み出し、確立させ今現在の自分に至る二番目のきっかけです。

そして1973年(昭和48年)帰国後、日本初の中国鍼のデモンストレーションとして、品川パシフィックホテルにおいて6ヶ月間治療を行い1974年(昭和49年)6月に渋谷道玄坂、津田ソシアルビル内に於て日本で初めての中国鍼治の療所「中国一撥鍼所」(当時名)を開設、25歳の時でした。

 

又このスタートは国際鍼灸学会 日本分会設立を希望する、師匠呉恵平氏の依頼でもありました。その場所で約3年半、その後同じく道玄坂新大宗ビル内に於て1年、その後現在のノア道玄坂ビル内に於て46年間、弛むことなく治療に当たっています。これまでに各国からの治療希望者が大勢来院され、それまでの日本に於ける針治療とは比類無い中国鍼の治療効果が認められ、順風満帆に航行して参りました。

 

日本での鍼治療の第一人者として42年前(当時28歳)鍼治療の功績を讃えられ学術一等勲章を授与され、当時入院を余儀なくされつつも夢に向かってコマを一つずつ進め、又現在に至るまで幾多の栄誉ある賞を拝受し続けて参りました。 そして現在でも投薬等に依存せず、鍼治療のみで十分カバー出来る方法で自然治癒力を高めるだけでなく、確実にその症状を止め、いかに治しにかかるか!教科書通り一遍のツボだけでなく、的確に改善へと作用するツボを永年の経験と実績の中で編みだし、それをJunji Ono Methodとしました。

 それは唯一無二の本当に治す即効性のある治療法なのです。

有難いことに患者様がご家族やご友人をご紹介下さる・・・親子四代にも亘る永い間の信頼関係の下、患者様方から感謝のお言葉を頂戴することが、何よりも嬉しい報酬と思っております。

 

生真面目、バカ真面目に一つ事を貫き通し、鍼治療に携わり半世紀、永かったのか短かったのか、古稀を迎えた今でもまだ々探究心の衰える事はありません。

 

そして不慮にも大きな病気を与えられたからこそ、ここまで鍼治療の極意を探求し確立できたのだと…人並みな健康を遅まきながらも与えられ私にも神様はちゃんと微笑んで下さったのだと感謝の日々です。

 

私の命が続く限り患者様方を真の健康へと導くガイドとして、一人でも多くの方々を治して差し上げたい…決して傲りではなく、心底苦しんだからこそ真摯にそう願うのです。